私の闘病日記

私の闘病日記vol.1『初期症状』

あゆ
あゆ
こんにちは!

今回は…

私の闘病日記vol.1
『初期症状』

をみなさんにお話ししたいと思います。

読み始めると、

前回の内容とほとんど同じなのでは?

と思う人もいると思いますが、

ちゃんと闘病日記は闘病日記についての内容、

病気は病気についての内容と分けたかったので、、

ぜひ読んでね!

前回のお話を読んでいない方はこちらから

↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓

家族性大腸腺腫症(FAP)と私の闘病日記(FAP診断前から大腸癌になるまで)

家族性大腸腺腫症(FAP)と私の闘病日記(FAP診断前から大腸癌になるまで) 今回は… ①家族性大腸腺腫症(FAP)について ②私の闘病日記(『家族性大腸腺腫症』と診断される前から大腸癌になるまでの経緯)当...

このページには…

・家族性大腸腺腫症(FAP)の説明
・私の闘病日記(FAP診断から大腸癌になるまで)

が書かれています!

この病気について、1人でも多くの人に知っていただけたら嬉しいです!

そして。

私と同じ病気で悩んでいる方。

または。

大切な家族に私と同じ病気にかかってしまった方に向けて、

少しでも勇気になればと思っています。

そして。

私みたいに病気ではなくても、人生を生きていれば誰もが悩みを抱えて生きていますよね。

仕事で抱えるストレスに、人間関係のトラブル。

将来に不安を抱える人や、お金で困って毎日の生活が息苦しくて…

中には『自殺』をしてしまう人だっています。

何か、もう、消えてしまいたくなる気持ち。

私もそういう感情になった時あったので、少し分かる気がします。

でもね…

正直に言えば!!

もしも今のあなたの体に何も病気がなくて、元気な状態であれば…

私は、あなたが『羨ましい』です。

だって…

私は22歳の時、大腸を手術で全部『摘出』してしまったので、

日常生活でも不便なことが多い。

(病気がなくて健康な人は、いいなぁ…)

と思うことも多いです。

でも!

人の悩みに、大きいも小さいもない。

そんな風にも思います。

私みたいに『体』に問題を抱えてる人、

それに体は元気だけど『心』に何かを抱えてる人。

いろいろな人がいるけれど、

『生きてる』ってことは、本当にラッキーなんだよ。

そんな当たり前なことに今回、あなたが気づいてくれたら嬉しいです。

私の闘病日記

では、ここからは、

私の闘病日記vol.1
『初期症状』

をお話していきたいと思います。

あゆ
あゆ
レッツゴー!!

パパにはもう会えない

私が8歳の時。

パパが大腸癌で死んでしまった。

私が幼稚園の頃から、パパは闘病生活に苦しんでいた。

何度も病院に通院していて、入院と退院を何度も繰り返していた。

家族で出かけていても、顔色が悪くて子供の私にも具合が悪いのが伝わってきた。

だけど、、

まさか、死んじゃうなんて…

そんなことになるなんて、全く思っていなかった。

それに子供の頃の私は、いつかパパは元気になるんだろうと思っていた。

パパが入院している病院に、何度もお見舞いに行ったのを覚えている。

病院に入った時に匂うコーヒーみたいな匂い。

そう感じるのは、私だけ…?笑

病院の生暖かい温度。

ちょっと不気味で薄暗い感じ…

具合が悪そうに、点滴スタンドをガラガラ引きながら歩いている患者さんたち。

せかせかと忙しそうに行き交う看護師さんたち…

病院って、具合悪そうな人がたくさんいる。

自分もなんだか具合が悪くなってきそうで、病院にいるだけでもう疲れる。。

当時の私はそう思っていた。

ある日。

パパのお見舞いに行って帰る頃。

「ママ今日、病院に泊まるね。」

とママは言った。

子供ながらに私は…

(え…どうして??)

(何で、ママは病院に泊まるんだろう…)

そんな風に感じた。

私と兄は、おばあちゃんと一緒に家に帰ることになった。

次の日の朝。

父が亡くなった。

その時の私は、寂しいとか、ガッカリとかそういう感じではなくて、

なんて言ったらいいのかわからないけど、

人が死ぬということがよくわかっていなかった。

それからお葬式で、棺桶に入った父の遺体を見ると…

顔が青白くて、触るとひんやりと冷たくて、ほっぺは少し固く感じた。

パパがパパじゃないみたい。

(なんで目覚めないの…)

(寝てないで、、起きてよ…パパ!!)

悲しくなって、涙がボロボロと止まらなくて、お葬式中はずっと泣いていた。

それからお葬式が終わってから、

パパは、天国に行っちゃったけど、

天国で病気が治って元気になったら、またパパに会える!

当時の私はそう思っていた。

そこでママに、

「パパにはいつ会えるの?」

と聞いたのを覚えている。

すると…

「パパにはもう会えないの…」

ママはそう言った。

死んじゃったらもう会えないなんて、誰にでもわかることだけど、

その時の私は、本気でまたパパに会えると思っていた。

(そっかぁ。パパには、もう会えないんだ…)

そこで私は、子供ながらに

心が締め付けられるように苦しくなったのを、今でも覚えている。

初めての血便

パパが亡くなって11年が経った。

私が19歳の頃。

ある日、トイレで血便が出た。

「…えっ!?」

一瞬、何が起こったのか分からなかった。

目を擦って、もう一度便器に目を向ける。

次の瞬間!!

サーッと血の気が引いて、何度も便器の中を確かめてしまった。

これは血なのか、そうじゃないのか?

もしかしたら何か赤い食べ物が混じっていただけ、、

なんじゃないか…

そわそわ焦る気持ちをごまかそうとしたけど、

(やっぱりヤバイかな…)

(どうしよう。。)

(病気だったらどうしよう…)

不安な気持ちが心を真っ黒に染め上げた。

(まだ私19歳だし、病気じゃないよね?)

まさか自分が病気になるはずないと思って、

しばらくの間様子をみることにした。

そもそも血じゃないかもしれないし、病気になるなんてあり得ないし…

だってまだ19歳だもん…!!

まだ若いし、未成年だし、そんな若い年齢で病気になるわけない。

絶対に病気なんかじゃない!!

ただ…

小さい頃から、ママに…

「トイレで血便が出たら教えてね」

そう言われていたので少し、いや、だいぶ心配になった。

なぜなら、パパも大腸癌だったから。

しかも…

パパは遺伝性疾患の家族性大腸腺腫症(FAP)と診断されていたこともあって、

もしかしたらパパの体質が私にも、遺伝しているかもしれないから…

もしも病気だった場合…

やっぱり自分の体だから、心配だし怖いけど、

今いろいろ考えても何も変わらないし。

とりあえず、このことは一旦忘れようと思った。

この先のことを考えると怖くて不安でいっぱいだったから、

考えようとしなかったし、自分の体と向き合うことをしなかった。

病魔が私を襲い始めた

血便を放置し続けて、1年が経過。

私は20歳になった。

20歳というと、もう成人。

お酒も飲めるようになって、これからが楽しい時期の20代。

でも…

1年経ってからも血便は止まらなかった。

血便が出るたびに、心を締め上げる焦りと恐怖が、

何度も、何度も、何度も、フツフツと湧き上がってきた。

だけど…

(私は大丈夫だよね、きっと何か赤い食べ物が混じってた、だけだよね…)

必死になって一生懸命、自分に言い聞かせた。

だけどね…

何となく、分かってた。

さすがの私も、そろそろ病院に行かないといけない状況だということは重々分かってた。

でも…

怖いんだもん。

病院に行ったら、もう手遅れかもしれない。

すでに『癌』になっていて、もしかしたら転移とかしているかもしれない。

TVドラマとかでよく見る『余命宣告』とか…

そんなリアリティはいらない。

血便が出ているのに、病院には行かない。

病院で診察を受けるべきだ、というのは分かっていながらも、現実逃避を続けた。

いわゆる見て見ぬふり。。

とにかく、その時の私は怖い気持ちから逃げたくて…

結果。

私は『痔』だと思うことにした。

今、考えると…

ただ単に『痔』だと思いたかっただけ。

でも…

トイレの後、お尻がヒリヒリ痛い時は、切れ痔だという妙な自信があった。

でも…

下痢も継続、お尻も痛くないのに血が出た時は、さすがに不安になった。

不安で怖くなって、私は病気だということは絶対に考えたくなかった。

他に何か原因があるんじゃないか、私なりに考えてみた。

下痢をするということは『水分』の取りすぎだから?

そう思って、あまり水分を取らないようにしてみたり。

運動して汗をいっぱいかいて、

下痢をしないように健康的な生活をしようとした。

でも…

結局、下痢は治らなかったし、血も出続けた。

そこで、これはもう腸からの出血しかないと確信した。

自分だけではどうしようもできない。

もう無理。

治らない。

病院に行って、ちゃんと医者に診てもらわないといけない。

もう、この段階では『諦めるしかない』といった感じだった。

私はきっと大丈夫じゃない。

私にできることはない。

病院に行く以外の選択肢は、もう残されていなかった。

それでも唯一。

安心できた時は『生理』の時だった。

トイレに行っても毎回この期間だけは、

便器の中が真っ赤になるのは当たり前だから、

下血しているのか、確かめる必要もないし、怖いものを見なくて済む。

それに。

不安になる必要もなかった。

(毎日が生理だったら、こんな不安な気持ちになったりしないのに…)

そう、何回も、何回も思った。

とにかく。

この先に起こるであろう『怖いこと』は、もう考えたくなかった。

でも…

それでも頭が、そればっかり考えてしまう。

忘れようとすれば、結局それは思い出してるってことで…

どうしようもない毎日。

やっぱり危機を感じたし、私の体が今どのような状況なのか。

これから生きていくのに、大丈夫なのか。

あゆ
あゆ
私は決心しました

もう…

『白』か『黒』ハッキリさせないと。

がん細胞アリの疑い

そこで私はGoogleで『血便 病気』と検索した。

すると…

私の恐怖心を急激に煽るような恐怖の文言が、ズラズラ並んでいた。

血の気が一気に引いていくような病名が画面上に、ズラーッと表示された。

・大腸癌
・潰瘍性大腸炎
・虚血性大腸炎

などなど…

聞き慣れない大腸の病名が次々に出てきた。

(えっ、何コレ…)

難しい専門用語が羅列してるページの中で、

私にバッチリ当てはまるのは『大腸癌』だと思った。

なぜなら…

パパも大腸癌だったから。

もう言葉にならない音量ゼロの悲鳴が、心に痛々しく響いた。

そんな絶望に畳みかけるように…

『大腸癌は自覚症状が出たら、すでに癌が進行していることが多い』

そんな知りたくもない説明文を発見。

(えっ、…ってことは、もう私の体は…)

不安のドン底、奈落の底に突き落とされた気分になった。

まだ自分が癌と診断されたわけではないし、病気かもわからないのに。

私の頭がどんどん『悪い未来』を想像してしまう。

それでも病気だと思いたくなかった。

トイレで血便が出たとしても、次また血便が出たら病院行こう…

問題を先送り。

今度こそ病院を探そう、いや、また今度…

そうやって、ズルズル病院に行くのを後回し。

でも…

血便が出るということは、

体のどこかで何か悪い異変が起きているサインだと改めて気づいた。

せっかく自分の体が警告のサインを出してくれているんだから…

病院に行くのは少しでも早いほうがいいと思い直した。

(これ以上、病院に行くことを先延ばしにしない方がいいよね…)

もし本当に病気だったら…

それなら明日よりも今日という風に、

診てもらうのは1日でも早い方がいいだろうと思った。

これから一体、私はどうなってしまうのかな。

もし私が病気だったら、この先…

元気に美味しいもの食べたり、いろいろな所に遊びに行ったり、

人生を楽しむことができるのかな…

まだまだこれから先やりたいことたくさんあるし、

病気でも後悔のない人生を送れるのかな?

怖い。

逃げたいけど、きっとここで逃げたらダメだ。。

もう自分の体と向き合うしかない。

病院へ行ったら、すぐ大腸内視鏡検査を予約するんだろうと思った。

スマホで調べた時も、血便などの症状が出たら、

まずは大腸内視鏡検査をすると書かれていた。

それに…

兄も血便疑惑で、前に大腸内視鏡検査をしたことがあった。

私も『あの』検査をすることは分かっていた。

早速、病院を探してみることにした。

自分にとっては大きな一歩。

ちょうどこの頃、今の家を引っ越す予定だった。

次の新しい家から近い病院を探してみることにした。

調べてみると…

電車で乗り換えがあるけど、比較的家から近い病院を見つけた。

最終的に、そこの病院に行くことに決めた。

ここで初めて、ママに今まであった症状などを説明して、

もう病院も探してあると言った。

それからすぐに行くことになった。

大腸内視鏡検査をするには、病院に行って、

まずは診察を受けてから検査の予約をする必要があった。

 

ということで、今回はここまで!!

最後に…

今回は、

私の闘病日記vol.1
『初期症状』

をみなさんにお話しました。

いかがでしたか?

次回は、今回の続きをみなさんにお話していきたいと思っています!

↓↓こちらから続きが読めます↓↓

私の闘病日記vol.2
『大腸内視鏡検査準備』

私の闘病日記vol.2『大腸内視鏡検査準備』 今回は… 私の闘病日記vol.2 『大腸内視鏡検査準備』 をみなさんにお話ししたいと思います。 前回のお話を読んでいない方は...

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本当にありがとうございました。

あゆ
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