今回は…
私の闘病日記vol.2
『大腸癌宣告』
をみなさんにお話ししたいと思います。
前回のお話の続きになります!
前回のお話を読んでいない方は、下に貼っておくので、ぜひこちらから読んでくださいね!

ぜひ、読んでね〜!
そして。
私と同じ病気で悩んでいる方。
または。
大切な家族に私と同じ病気にかかってしまった方に向けて、少しでも勇気になればと思っています。
私みたいに『体』に問題を抱えてる人、それに体は元気だけど『心』に何かを抱えてる人。
いろいろな人がいるけれど、
『生きてる』ってことは、本当にラッキーなんだよ。
そんな当たり前なことに今回、あなたが気づいてくれたら嬉しいです。
私の闘病日記
では、ここからは、
私の闘病日記vol.2
『大腸癌宣告』
をお話していきたいと思います。
それでは!
1ヶ月遅れの内視鏡検査
私が22歳の時。
10月。
いつものように内視鏡検査と胃カメラの予約をしに病院へ行く。
今回は思ったよりも、予約が埋まっていた。
だから…
最短でも1ヶ月先の予約になってしまった。
(まぁ1ヶ月くらい検査が遅れても特に問題ないか)
それから1ヶ月後…
2018年11月14日
病院へ行って、いつもと変わらず大腸内視鏡検査と胃カメラを受けた。
内視鏡検査では、またポリープを切除して胃カメラもやって、検査は無事に終わった。
突然すぎる大腸癌宣告
2018年11月28日
病理の結果当日。
この日のことは、これから先ずっと忘れないと思う。
朝、起きようと思った時間に起きれなかった。
電車も途中で止まったりして全然動かなかったり。
今日は起きてから、本当についていなかった。
でも…
その日は、とても天気が良くて気持ちのいい秋晴れだった。
少し寒くて、これから寒い冬が来るんだなと思わせるような気候だった。
病院に着いて、病理の結果を聞くために待合室で待つ。
そして…
診察室に呼ばれて中へ入る。
ここまでは、何一つ変わらずいつも通り。
いつものように…
・病理の結果は特に問題なし
・異常も見つからなかった
・また半年後に検査しようね
そう言われるはずだった。
だけど…
今回はそうではなかった。
診察室に入って、椅子に座る。
すると…
「検査の後大丈夫だった?何もなかった?」
先生がいつも以上に心配した顔で聞いてきた。
いやいや、いつも通りだったし、出血もしていなかったし。
特に変わったことは何ひとつなかった。
だから…
一瞬、何を聞かれているのか全くわからなかった。
いつもだったら、始めに軽く挨拶をして…
「今回も大丈夫だったよ。次も半年後に検査ね」
そう言うのに。
(今日は、どうしてこんなこと聞くんだろう…)
いつもと聞かれることがまるで違う。
しかも…
先生がやけに心配した顔をしていたから、少し嫌な予感がしてきた。
不安は一気に増して、だんだん『恐怖』へと変わっていった。
何となく自分の頭の中で、こう言われるんじゃないかという大体の予想がついた。
次に先生の口から出てくる言葉が、すごく怖くて聞きたくなかった。
そして…
自分が考えていた予想通りの言葉を、先生は言った。
「病理に出したポリープの中に、1つ悪性のポリープが見つかって…」
(えっ…)
1回でも悪性のポリープが出てしまうと、次も高い確率で悪性のポリープが出てきてしまうらしい。
だから…
そのままにしておくのはダメと言われた。
(悪性ってどういう意味だっけ…)
(癌っていうことだよね?)
(いやちょっと待って、私が癌なんてそんなわけない!)
(もしかして、間違えて他の人の結果を言ってるんじゃない?)
(まだ22歳だし、癌になるような年齢じゃないでしょ!?)
頭の中でグルグル考えた。
でも、最終的に何も考えられなくなって、言葉が何一つ出てこなかった。
頭の中が真っ白になってしまった。
よく頭の中が真っ白になるって聞いたことがあるけれど、こういうことをいうんだなと思った。
生まれて初めて、この言葉の意味を理解したような気がした。
(じゃあ、私はこれからどうしたらいいの…!?)
そうと思っていると…
・大腸全摘の手術をしないといけない
・一時的に人工肛門になる
先生は落ち着いた声で、私にわかりやすく説明してくれた。
もう何をどうしたらいいのか、全くわからなかった。
なんとか平常心を保つのに必死だった。
そして…
震える声で先生に、
「もし、手術になったら…先生が手術してくれるんですか…?」
と聞いた。
すると、先生は…
「ここの病院では手術はできないから、大きい病院を紹介するね」
そう言った。
(全然信じられないし、信じたくもない…)
1番恐れていたことが起きた。
まさか…
こんな結果になるなんて、思ってもいなかった。
(いや、これは夢なんじゃないか?夢だったら早く覚めて…!)
(半年に1回、内視鏡検査でポリープをとっていれば大丈夫なんじゃなかったの…?)
その時は…
半年に1回病院に行って、ポリープをとっていたら絶対に、確実に、大丈夫だと思っていた。
今となっては…
なんて呑気な考えだったんだろう。
絶対に大丈夫だなんて、誰も一言も言っていないのに。
自分が大丈夫だと、勝手にそう思いたかっただけだった。
絶対なんてない。
先生から将来、大腸を全摘する手術をしなきゃいけないことは、言われていたからわかっていた。
だけど…
まさかそれを今日、言われるなんて思ってもいなかった。
入院とか手術をするのは、もっとずっと先のことだと思っていた。
どうして、よりによって自分なんだろう…
何か悪いことした?
食事も多少気をつけていたし、お酒もタバコもしなかった。
自分なりに健康的な生活をしていたつもりだった。
いろいろ気をつけていたつもりだったんだけどな。
私の普段の行いが悪すぎたの?
もしかしたら…
この結果は間違いで、もう一度調べ直してもらったら違う結果が出るかもしれない…!
でも…
いろいろ聞きたいことや言いたいことがたくさんあるのに、言葉が何一つ出てこない。
これ以上、自分が将来どうなるかを知るのが怖かった。
一体、自分の体の中で何が起きているの?
言葉にできない辛さ、苦しさがどんどん込み上がってきた。
でも…
結局、生きるためにはもう手術をしないといけない。
それ以外に生きられる方法はない。
まるで自分が自分じゃないかのようだった。
なんだか私が、この世界で独りぼっちになったみたいな感覚だった。
先生から、
「今日はお母さんも一緒?」
そう聞かれた。
でも、今日は1人で病院に来ていたから、
「今日は1人で来ました」
と、先生にそう伝えた。
すると…
「お母さんも一緒に話を聞いてもらいたいから、また病院に来てほしい。もし今日来れるなら夕方以降に来てほしい」
そう言われた。
それから診察室を出て、お会計を済ませて病院を出た。
先生から聞いた話を、家族のグループLINEで伝えることにした。
でもなんて報告したらいいのかわからない。
癌になっちゃったよ。
悪性のポリープが見つかっちゃったよ。
そんなふうに言おうかと思ったけど、やめた。
結局、
『検査の結果が良くなかったから、ママも一緒に話を聞いてほしいって!』と送った。
『癌』とか『悪性』とかあまり言いたくなかった。
なんかすごい悪いみたいな、まさに病気って感じがして。。
しばらくするとLINEが返ってきた。
ママが今すぐ病院に行くと言ってくれた。
ママと病院の最寄り駅で、待ち合わせをすることになった。
ゆっくり駅まで歩いて向かう。
そして…
先生から言われたことを、自分の頭の中で一旦整理してみた。
(とりあえず落ち着かないと…)
(悪性のポリープっていうことは、大腸癌になったということなんだよね…)
(22歳でも、癌ってなるの…?)
自分のことではなく、他人事のように思った。
だって、痛いところもない。
本当に癌なの?
と思うくらい、全然信じられなかった。
駅まで歩いていると、先生と会話した内容が頭の中で何回も再生される。
すると…
周りに人がいるにも関わらず、何だか、だんだん涙が止まらなくなった。
今日、家族と一緒に結果を聞きに来なくてよかった。
こんな泣いている姿見せられない。
(大腸が無くなるなんて本当…?)
(入院しなきゃいけないの…?)
(手術するなんて嘘だよね…?)
どうしても信じたくなかった。
結果を受け入れることもできなかった。
そういえば私は、家族性大腸腺腫症っていう病気。
今まで2年半、内視鏡検査を半年ごとに受けて、ポリープを取ってもらって、毎回病理の結果は何も問題なかった。
なんだ、ちゃんと内視鏡検査をしてポリープをとっていれば、この先大丈夫じゃん!
そのうち病気のことを考えなくなった。
そして…
自分が病気だということをどんどん忘れていった。
いつかテレビで見たニュース。
この世の中、2人に1人は『癌』になるというニュース。
じゃあ私は、その中の1人になったんだ…
もうこれから先のことなんて、何も考えたくない。
これから入院、手術となると家族にも迷惑をかけてしまう。
こんなことになっちゃって、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
家族には心配かけたくないから、笑顔でいようと思った。
すると…
ママから、もうすぐ駅に着くと連絡が来た。
お店を出て、私もママと待ち合わせをしている場所に向かう。
無事に駅の改札でママと合流することができた。
ちょうどお昼の時間だった。
だから…
駅の近くにあるカフェでお昼を食べることにした。
ママに先生から言われたことを簡単に話す。
(絶対に泣かない…!!)
そう思いながら。
夕方頃、病院に着くように時間を合わせてカフェを出た。
夕方になるにつれて、外もだんだん暗くなってきた。
ママと一緒に病院へ向かった。
病院の中に入ると…
たくさんの患者さんたちで、結構混んでいた。
受付の人に説明をすると…
「椅子に座って、少し待っていてくださいね」
と言われた。
ママと待合室の椅子に座って、話しながら待つ。
すると…
思ったよりも早く呼ばれて、診察室のドアを開けて中へ入った。
先生は、さっき私に話したことをママに話した。
そして…
先生から、大きい病院を紹介してもらった。
一通り説明が終わって、ママと一緒に病院を出る。
ここの病院で、内視鏡検査をすることはきっともう二度とない。
だから…
先生や看護師さんに2年半もお世話になったのに、お礼を一言も言わずに病院を出てきてしまって少し後悔した。
家に帰る電車の中でも、まだ癌だということを受け入れることができなかった。
まるで…
他人事のような感じ。
手術するっていう実感が全く湧いてこない。
感情も全然ついていけない。
だって…
どこも痛いところがないんだもん。
(手術なんかしたら、傷も残るんだろうな…)
(そもそも大腸がなくなったら、どうなるのかな…)
まだ紹介された病院で話を聞いたわけじゃないから、どうなるかは誰にもわからない。
今回も、
「病理の結果、取ったポリープは全部良性だったよ。じゃあまた半年後ね」
先生にそう言ってほしかった。
なんだか呆気なかった。
こんないとも簡単に『癌』になるんだと思った。
どうしても、冷静でいることができなかった。
大腸がなくなるとか、入院しなければいけないとか、手術をするとか…
先生からいろいろ説明を受けた。
だけど…
どれも全く信じられなかった。
(今日起きたこと全て、ドッキリだったらいいのに…)
もういっそのこと夢だと思いたかった。
手術を受ける覚悟
癌宣告を受けて次の日。
朝、目が覚めた時、昨日のことが全部ウソだったらいいのにと思った。
そもそも、何でこんなことになってしまったんだろう?
突然やってきた想定外な現実。
これから先のことを考えるとすごく不安になってきて、辛くなってきて、もう泣きたいくらいだった。
とにかく何も考えたくない。
(もうこれ以上誰も何も言わないで…)
自分の心がボロボロに壊れていきそうだった。
(これから私はどうなるの…)
せっかく優しくて良い先生に出会えたと思ったのに、また病院も変わっちゃうし先生も変わるなんて。
他の重い病気に比べたら自分はまだ初期の癌だし、軽いのかもしれないけれど。
当分、ずっと内視鏡検査だけをやっていればいいと思っていた。
自分が癌になるとか、そんなの全く想像していなかった。
(突然そんな癌なんて言われても、どうしたらいいのかわからないよ…)
大きい病院を紹介されて、手術しなきゃいけないくらいだったら、
もう1年に何回でも内視鏡検査をやってもいいから、なんとか大腸全摘をしなくてもいい方法はないのかなと考えた。
もっともっと、普段の生活の中でいろいろなことに気をつけていたら、今回の結果は違っていたのかな。
でも、これ以上何を気をつけたらいいのか正直分からなかった。
大きい病院で、入院とか手術なんて想像すらしたくない。
でも、もう何を言っても現実は変わらないし、頑張るしかない。
どうせ、将来手術しなきゃいけないんだったら、今手術しておいた方がいいのかもしれない。
嫌なことはさっさと先に終わらせておきたい。
何でもプラスにいい方向に考えないと、自分がダメになってしまうようで怖かった。
手術をする覚悟を決めなきゃいけない。
もう逃げられない。
癌になったけど手術さえすれば、これからも変わらずに生活できる。
手術さえすれば、これから先も生きることができる。
手術さえすれば生きられるのに、生きられる方法があるっていうのに、どうしようもなく死にたくなった。
何も考えたくなかったし、考えても解決することではないし、考えたって仕方ない。
手術しなきゃいけなくなった、ただそれだけのこと。
考えれば考えるほど怖くなるのはわかっていた。
先生の話も何も聞きたくない。
自分の病気のことなんかもう何も知りたくない。
(どうしてこうなるの…何で私は病気なの?)
何だか悔しくて、辛くて、苦しくて、逃げたくて、怖い気持ちでいっぱいだった。
誰か助けて。
泣いても喚いても仕方ない。
そんなことをしたって、現実は何一つ変わらないのだから。
そして…
大腸癌を宣告されてから、3日後、紹介された病院へ家族と一緒に行くことになりました。
ということで、今回はここまで!!
最後に…
今回は、
私の闘病日記vol.2
『大腸癌宣告』
をみなさんにお話しました。
いかがでしたか?
次回は、今回の続きをみなさんにお話していきたいと思っています!
↓↓こちらから続きが読めます!↓↓

ぜひ、読んでね!!
最後までお読み頂き
本当にありがとうございました。